去りゆく夏の思川

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とんぼ帽子
 古河は茨城の関東平野部にあって例外的に水道水の美味しい町だった。利根川渡良瀬川から直接取水せず、その支流の思川の水を取っていたからだ。
 思川は小山市渡良瀬川に合流する。目の前の大河の水など飲めたものではないことを古河の人たちは知っていた。・・・まぁ、年々不味くはなって行くが、それでも埼玉・東京のように利根川の水を飲むなどおぞましいことである。古河に育った私たちはそう思っている。
 思川は足尾山中(前日光側)に発し、粟野・鹿沼の山肌をくだり関東平野の隅っこを走り、市街地を避け、遊水池の一つ外で泥水を避け、なるべく「汚れないように、汚れないように」と大急ぎで渡良瀬川に合流する川である。
 上流にはゲンジボタルもいる。もう20年も前、小山あたりでは遊技に向いた水を利用してのTDL建設の打診もあったと聞く。
 そんな川であり公共事業依存体質の栃木にあってさえ、大切に思う人の多い川である。今の県知事がこの川にダムを作らないことを公約にして当選し、間もなくペロンと態度を翻した宿命の川でもある。
 まぁ、鹿沼あたりの行政は命がけで、実際に産廃関係者に殺された公務員もいたのは周知の事実だがそれにしても情けない。いや、だからこそ毅然とした態度で望むのが選挙の洗礼を受けた代表者の仕事ではないか?
 まぁ、いいや。良くないけど。とにかくこの川に子供の死体が浮いた。複雑というよりもう破綻した家庭の子供である。いまある限りの情報においても、双方とも人としての法(のり)を外している親である。
 先日、宇都宮大学の杉原教授(憲法行政法)の話を聞く機会があった。栃木は少年非行、特に覚醒剤が大きな問題となっているらしい。意味するところは組織犯罪である。暴力団の発砲騒ぎや抗争でやたらと小山市の名前は出る。そしてそれを支えている構造の一つに地方のいわゆる「落ちこぼれ」の若者に共通の前近代的な人間関係がある。
 教授は施設に少年達の話を聞きに行って、根は悪い子達で無いのを実感したという。しかし彼らは施設を出ればすぐ「先輩」たちにつかまり前と同じ事をさせられてしまう・・と訴えていたという。
 (念のために言うが、本人の意志の問題だけで片づけられれば社会制度の意味はないし、縁もゆかりもない他人がわざわざそれを語る必要もない。物事は複数の側面から見るべきであり、ここでは地域の社会問題として語っている)
 今回の事件で、40才にもなって中学時代の先輩後輩関係で・・・と驚かれる人も多いだろう。私もその一人だ。と同時に教授の話や茨城・関城町の孫を傷つけた祖母の事件、北関東の農村の因習と人間関係・若者コミュニティの伝統的な閉鎖性と脱法指向など、様々なことを思い出して納得もした。
 貨幣経済が普及した今もなお、なぜこれらは生き続けているのだろう?産業の荒廃した地方において亡霊のごとく蘇りつつあるものたちの正体は何だろう?
 小山あたりの人間は概して温厚で人が良い。今回の事件でも一般の人が間々田近辺を探し回っているらしい姿が散見できた。ここはまだまだお年寄りや子供に優しい土地柄と言えるだろう。
 しかし私はふと、『不良債権の解消はヤクザの殲滅から』というキャッチフレーズを思い浮かべる。こういう暖かい人々がいて、同時に暗い因習を温存することで利益を得ている者達が横行している。発砲騒ぎの町でおっとり暮らす人々の笑顔が、私にはどこか悲しく見えてしまうのである。
 かつては戦った時代もあった。目の前の広大な渡良瀬遊水池は田中正造翁と谷中村の人々の敗北の跡だ。国土交通省宇都宮線沿線の駅前に不似合いなハイテクモニュメントを建てて盛んに喧伝するあのキャサリン台風時でさえ閉められることのなかった、巨大水門が未使用のまま撤去された。栃木県で2番目に大きな湖を潰して作られたドブ湖。永遠に続く工事。今度は浄化工事だそうだ。優しい人たちの力無い笑顔。

汚されつつある思川。